8月1日インクワイラー紙'All of us to blame for Payatas slide' (翻訳・鶴岡さん)

「パヤタスのゴミ崩れはわたしたちみんなの責任」
パヤタスでの惨事は誰のせい? わたしたち全員のせいでもあり、誰のせいでもないようです。
パヤタスの悲劇といえば、非難されるべきはケソン市長マタイ氏というのがこれまで多くの人々が信じて疑わない説でしたが、どうやら専門的には(学術的には)ケソン市長マタイ氏はその責任から解放されるようです。
フィリピンという国にごみ捨て場管理に関する法的制御がないことから、マタイ市長は今回の惨事の責任から解き放たれるであろう、と2人の上院議員が警告しました。
しかし、内務省リム氏は、マタイ氏でなく、すべての民衆が非難されるべきだと言います。「もし、誰かを非難するのであれば、それは我々自身だ。なぜならあのゴミは私たちが出したからだ」ケソン市職員の前でリム氏はこう語りました。
昨日の上院公聴会では、環境自然資源庁(DENR)はメトロマニラ圏内の行政区に98年1月から2001年12月31日までの3年間にすべての自由ゴミ捨て場を管理ゴミ捨て場に転換するように命令を出していたことがわかりました。
管理ゴミ捨て場は、ゴミ拾い(スカベンジング)を禁止し、たまったゴミからの自然発火によるメタンガスを防ぐように継続的なモニタリングを必要としています。
上院議員のフラビエル氏は2001年のデッドラインはまだ来ていなかったので、200人以上の死傷者を出したゴミ崩れの現場にいたスカベンジャーについてマタイ市長を非難することはできないと言いました。
一方、上院議員ビアソン氏は、エンバイラメンタル・インパクト・アセスメント・ロウ(EIA法:環境による諸影響を評価する法律)はパヤタスには適応されないとマタイ市長の発言に同意する意向を見せました。
7月10日のゴミ崩れは217人以上の人々を埋め、まだ200以上が行方不明です。
スカベンジャーたちの多くはそのとき寝ていたかリサイクル可能なものを探していました。
マタイとその息子チャックの名前は、パヤタスの悲劇後、住民の責め返しから浮上しました。
マタイ氏は、ゴミ捨て場を予定通り99年12月に閉鎖しなかったことで非難を浴びました。
チャック・マタイは、何百万ペソ規模の事業であるゴミ捨て場管理会社のオーナーの一人で、政府に雇われた契約業者とゴミ収集を行い、パヤタスへゴミを捨てるプロセスに関わっていたとされています。
DENR環境管理局アバヤ氏は、上院公聴会にてEIA法(PD1586条)はパヤタスのような自由ゴミ捨て場を操業するならば、事前にエンバイラメンタル・クリアランス・サーティフィケイト(ECC:環境許可認定証?)を要求する必要があると述べました。

=法の抜け道=
しかし、マタイ氏はその法律は1982年に施行されたもので、1973年から操業されているパヤタスはその法の適応を受けないと証言した。
ビアソン氏は、マタイ氏の証言内容に同意したが、後の公聴会でまだ様々な展開が見られるだろうと予測している。
公聴会後、アバヤ氏はPD1586条は遡及力がないため、法の抜け道となるだろう、そしてこの抜け道についてまず国会で協議する必要性があると述べた。
またアバヤ氏は、パヤタスの惨劇の観点から、自分たちが管轄する行政区内にゴミ捨て場を持つすべての地方自治体は、DENRの必要条件に従い、すべての自由ゴミ捨て場を2001年が終わるまでに管理ゴミ捨て場に転換するべきだと話した。
市役所でのスピーチでリム氏はマタイ氏が気の毒だと言い、パヤタスでの惨劇についてケソン市長を非難するのはやめるようにと言った。
「私たちは誰かを指差して非難するべきではない。特にこの惨劇のことでマタイ氏を責めるべきではない。そんなことよりも、みんなで連帯して被害者を助けるべきだ」と元マニラ市長リム氏は言った。
昨日、内務省副長官のサンチアゴ氏と共に、リム氏は市役所へ赴き、内務省庁内と地方自治体でパヤタス惨事の被害者のために集めた缶詰、米、古着など400箱を運び込んだ。

戻る