Tはじめに
 急性不安発作で始まる不安神経症(panic disorder)は、発症頻度の高い神経症であ り、総合病院や診療所における外来診療においては、日常しばしば接する疾患である。そして、その治療については、様々の立場からの研究が行われており、種々の治療がその有効性を主張している。
 たとえば、日常臨床において一般的に行われている、疾患についての説明・抗不安薬の投与・支持的精神療法の組み合わせによる治療の有効性が、高いものであることは周知の事実である。
 また近年、誘因なく生じる急性不安発作を抑制するには、抗不安薬よりも、imipramine 150mg ,monoamine oxidase inhibitor などの抗うつ作用のある薬物の比較的大量の投与が、有効であるという報告がなされている(8)。また、alprasoramを 3〜10mgと大量に用いると、一般の抗不安薬とは異なった発作抑制作用が期待できるとされている(10)。この他に、β-blockerも、不安神経症に用いることができるという報告もある(11)。
 さらに、種々の指示的精神療法が、不安神経症に対する卓越した有効性を主張してい る。たとえば、森田(5) は「単にその発作そのものに対しては、ひとたび本症の心理を会得した医者ならば、一言で容易に、かつ適切にこれを除去し、なおこれを再発しないようにすることができる。」とまで述べており、森田療法の有効性を主張している。また、 Weekes C(13)は、「発作の恐怖をやり過ごす」ことを指導する精神療法を提唱し、この方法が単純で極めて有効性の高いものであるとしている。Frankl V E(2) も、そのロゴテラピーの良い適応となる疾患として不安神経症をあげている。このほか、Wolpe J(14) の 「系統的脱感作法」などの行動療法的接近も、不安神経症に有効性が高いといわれてい る。
 一方、古典的精神分析(6) も、不安神経症を「抑圧された葛藤を明らかにする」ことによって回復させることができると主張している。また、精神分析的な精神療法のひとつとして、Vanggaard Th(12)は、患者の二次的疾病利得に焦点を当てた精神療法が高い有効性を持つとしている。
 このように、急性不安発作で始まる不安神経症(panic disorder)の治療について考えようとすると、実に様々の立場に立った方法が、それぞれに有効性を主張しているということにつき当たる。そして、このことはpanic disorderに特異的な事態ということもできる。なるほど精神医学においては、多くの疾患において多元的なアプローチがなされることが多いのは事実である。しかしながら、たとえば、うつ病や分裂病においては、まずもって生物学的な立場が第一優先となり、特定の薬物療法が治療の中心に位置している。また、ヒステリーにおいては、内的な葛藤をとりあげる精神分析的な精神療法が中心とな り、そのほかの治療は従属的な位置に置かれることが多い。ところが、panic disorderにおいては、種々の薬物療法・種々の精神療法が自らを第一義的な治療と位置づけるということが起こっている。このため、我々が、これらのさまざまの方法を我々自身の治療の中に位置づけて、使い分けていくことが難しくなっている。
 そこで、本稿で我々はまず、panic disorderの治療においてさまざまの方法が有効性を持つ根拠について考えてみたい。このために、panic disorderの代表的病型であるpanic disorder with agoraphobia の症例をあげ、その進展を分析し、この過程の中で働いているメカニズムが多元的なものであり、それらが全体としてひとつの悪循環を形成していることを明らかにしたい。(panic disorder with agoraphobia とは、DSM−V(1) の概念であり、急性不安発作=panic 発作で始まり、発作を繰り返しながら、外出恐怖・単独恐怖などの広場恐怖=agoraphobia へと進んで行く病型である。)そして、この進展メカニズムの分析に基づいて、さまざまの治療が、どのようなメカニズムに対応したものであるかを考えてみたい。さらに、実際に治療を進めていくにあたって、どのような治療的アプローチを組み合わせていったら良いのかという問題について、ひとつの考えを提示してみたい。
 U症例  [プライバシーの問題もあり、症例は省略しました。]
 V考察
 a.症状進展の分析ー症状進展の4段階とそのメカニズムについて
 症例に見るように、panic disorder with agoraphobia は、一定の経過をたどって急性発作から慢性恐怖症状態への症状の進展を見せている。ここでは、その進展を4つの段階に分けて分析し、それぞれの段階において中心となっているメカニズムをとり出して見たい。まず、次に4つの段階を列記しておく。
 第1段階:panic 発作の突発ー突然の自律神経症状と不安感。
 第2段階:panic 発作の進展ー突発した症状の原因・結果についての不安(急性不安)               による症状の進展。
 第3段階:亜急性不安緊張 ー「またなるのでは」という予期不安による自律神経症状        状態     の亢進。
 第4段階:広場恐怖症   ー発作と関連した状況を恐怖し回避する行動の固定化。
 [第1段階:初回panic 発作の突発]発症に前駆して、出張や残業の連続などの仕事上の過労や家事や旅行の疲れなどのため、患者は疲弊した状態にあることが多い。ここにあげた症例でも、症例1では、仕事と家事の両立による過労が、症例2では、アレルギー性鼻炎で体調を崩しているときのゴルフの疲れが、関係していると思われる。そして、この疲れにともない、患者は、漠然とした身体的違和感を感じている場合が多いが、日常的な活動には大きな支障はなく、仕事や家事を続けている。
 このような前駆期の後、panic disorderは、青天の霹靂のごとく(out of the blueと英語でも表現される)激しい急性のpanic 発作で発症する。患者自身まったく予期していなかった動悸や「フワフワと雲の上を歩いているような」めまいの発作が突然生じ、それとともにこれまで経験したことがない奇妙な不安感が生じてくる。「自分をコントロールできなくなって、訳が分からなくなる」ような感じや、すべてが見なれないもののように見える離人感なども生じてくる。患者はこれらの急激な症状突発にろうばいし、困惑してしまう。このような急性発作の突発は、年余を経ても詳細に記憶されているものであり、この発作を境として患者は健康な状態から神経症状態へと急激に移行する。このように、〇月〇日に発病したと特定できることが、panic disorderの特徴であるということもでき る。
 このpanic 発作突発のメカニズムについて、精神分析(6) は「内的葛藤を抑圧するために」症状が生じるとしており、森田(4) は「ちょっとした心臓鼓動に対するヒポコンドリー性誤想から、精神交互作用によって」発作が生じると考えている。症例1では、精神分析的考えが、症例2では、森田の考えが、ある程度当てはまると思われる。しかし、このような仮説のみでは、患者を健康な状態から神経症状態へと一気に移行させるような、 panic disorderの突然の発症を理解するには不十分のように思われる。これに対して、近年の生物学的研究は、乳酸塩によって発作が誘発されること(7) ・患者の近親者にpanic disorderが多いこと・抗うつ作用のある薬物が発作抑制作用を持つことなどから、急性発作の背景には生化学的な異常が存在しており、このような発作の突発は内因的なものととらえるべきではないかとしている(9,10)。我々は、このpanic 発作の突発については、心因的な考えのみではなく、生物学的な仮説も考慮に入れておくほうが妥当なのではないかと考えている。
[第2段階:panic 発作の進展]動悸・めまいなどの自律神経症状と不安感の突発によって、ろうばいし困惑状態に陥った患者は、続いて次のような不安にとらわれていく。「心臓発作でこのまま死んでしまうのでは」「発狂して何も分からなくなるのではないか」 「気を失って倒れてしまうのではないか」。こうして死・発狂・失神などに対する恐怖がつのっていき、それとともにふるえ・呼吸困難・冷や汗・しびれ・脱力感などの症状が悪化していく。このような状態で、患者は救急病院に駆け込んだりするが、症状はおおむね15分以内に自然に消褪へと向かっていく。
 このような発作の進展のメカニズムは、症状突発に対する患者の解釈が不安を呼び、悪循環を形成していく過程ととらえることができる。すなわち、予想もしなかった症状の突発にろうばいし困惑した患者は、このような症状の原因と結果についての解釈を試みようとする。しかし、患者の原因についての解釈は、心臓病や精神病に対する疾病への恐怖を呼び起こし、結果についての解釈は、死や発狂に対する恐怖を呼び起こすだけである。不可解な症状の本質を理解して、それから逃れようとする道を探る試みは、逆により大きな死や発狂などに対する不安(急性不安)を呼び込んでしまう。そして、不安と症状は、森田のいう精神交互作用(4) を形成し、発作の進展を呼ぶ悪循環を作り上げる。すなわち、不安は、症状に対する意識の集中をもたらし、意識の集中は、症状を増強し、これが再び不安を生じさせていく。こうして、panic 発作は進展し、頂点を迎えるが、15分程度で自然に消褪に向かっていく。
 [第3段階:亜急性不安緊張状態]このような初回panic 発作を経験すると、患者は 「またあんな発作が来るのではないか」という予期不安をいだくようになる。そして、発作が来るのではないかとおびえながらの生活が始まり、身体的変化をいつも気にとめ、何か変わったことはないかと体調ばかりを観察する毎日となる。こうして、軽度の動悸・めまい・ふるえなどの自律神経症状が持続する亜急性不安緊張状態が成立し、取り越し苦労や心気的不安がつづくようになる。そして、亜急性不安緊張状態のためpanic 発作はより生じやすくなり、この発作の反復が亜急性不安緊張状態をさらに強めていく。
 この亜急性不安緊張状態の成立のメカニズムは、何とか恐ろしい発作を予期し、それから逃れようとする患者の試みが、かえって発作への恐怖を強め、予期不安を呼ぶことから始まる。そして、予期不安のためにささいな症状が恐怖を呼び、精神交互作用による悪循環が生じて、亜急性不安緊張状態を成立させる。「予期恐怖はそのまま自己暗示となり、患者は自らその病を求めこしらえるのである。(森田)」(4)
[第4段階:広場恐怖症]亜急性不安緊張状態がつづき、再発作を反復するうちに、患者は、発作が起こった場合に助けを求められないような状況を回避して行動するようにな る。このため、患者は一人では外出できなくなり、人込みを恐れ、電車にも乗れなくなっていく。時には、自宅に一人でいることすら回避し、家族に対する強い依存性を示すようになる。これに加えて、以前に発作を起こした状況と類似の状況も恐怖の対象となり、このような状況に対する恐怖と回避が持続するようになる。こうして患者は、広場恐怖症の病状を完成させ、社会的な活動に大きな制限を受けるようになっていく。
 このような広場恐怖症の進展は、予期不安が生活全体を支配するようになることと理解できる。患者は、発作を回避し、発作に対応できる状況に自らを置いておくことを生活の主目的として、生活を狭い範囲へと閉じ込めてしまう。しかし、こうして発作を回避しようとすればするだけ、発作への恐怖はつのることとなり、わずかの症状でも、強い予期不安を呼ぶ。そして、予期不安の強まりは、患者の生活をさらに狭い範囲へと閉じ込めていくこととなる。また、生活の障害のため、家庭内の対人関係にもさまざまな問題が生じるようになり、二次的に対人的葛藤が顕在化していき、このような葛藤が、発作を誘発する要因となっていく。このようにして悪循環はさらに進み、症状が完成していく。
 以上のようなpanic disorderの進展を簡略に図示すると、図のようになる。この進展 は、まず素因・ヒポコンドリー基調・葛藤などの多元的要因によって生じた不可解な自律神経症状と不安感の突発から始まる。そして、この不可解な発作への恐怖にとらわれた患者が、発作から逃れるために、発作を理解し、予期し、それに応じた行動をとろうとすると、ことごとくさらに恐怖をつのらせる悪循環を作ってしまう。そして、不安と症状の間の精神交互作用が進み、葛藤の顕在化なども生じて、症状の慢性化が生じるものと考えられる。                                      b.症状進展のメカニズムと治療法の対応について
 以上のような分析から、panic disorderにおいては、身体的・精神的なさまざまのメカニズムが、全体としてひとつの悪循環をなして、症状を形成していくことが明らかとなった。そして、種々の治療は、このような多様なメカニズムのいずれかに影響を与え、  panic disorderの悪循環を軽減しようとするものなのである。
 まず、薬物療法についてみると、抗うつ薬やalprazoramの比較的大量の投与は、素因・葛藤・疲労・ヒポコンドリー基調・予期不安などの条件から、症状が突発することを防止する作用があると考えられる。最近の二重盲検試験(8) などが、明らかにしているよう に、抗うつ作用のある薬物は、有意にpanic 発作の頻度を減少させることができる。これに対して、β-blockerは、突発した動悸などの症状を軽減し、悪循環を軽減する。また、抗不安薬は、症状に対する不安・恐怖を軽減し、不安と症状の悪循環に影響を与え、症状を改善するものと思われる。
 精神療法のうち、治療者が行う病気についての説明は、患者が不可解な症状に困惑し て、不安に陥ることを軽減するものととらえることができる。筆者らは本稿の図を患者の症状に応じて書き換えて、それによって症状とそのメカニズムを説明するようにしてい る。また、安永(15)は、「このような病気があり得ること」「生命的には全く危険はないが、くせのようなものである」などと症状について説明するのが良いとしている。このように治療者がはっきりと病気の性質について語ることによって、患者は不可解な症状を何とか理解できるようになり、不安を発展させることが少なくなる。           これ対して、指示的な精神療法は、患者が不安から逃れようとして、かえって不安をつのらせていく悪循環を軽減しようとするものである。悪循環のこの部分を断ち切るため に、指示的精神療法においては、患者自身が不安に直面し、不安に耐え、不安から逃れようとしないように指導していくことが中心となる。
 たとえば、Weekes C(13)は急性不安への対応を取り上げ、次のような説得が効果的であるとしている。「気をそらそうとか忘れようとして不安から逃げてはならない。不安を自分の力で取り除こうと戦ってはいけない。早く不安から解放されようとあせってはならない。そうではなくて、不安と直面し、不安を受け入れ、不安に身をまかせ、発作をやり過ごしていくことが、回復への道なのである。」また、安永(15)も「この病気はくせのようなものであるから、しばらくは再発の傾向もあろう。しかし、本態を心得てその都度やり過ごすならば、程度も軽くなり、回数もだんだん間遠になり、いつか忘れたようになおるであろう。」と説得するのが良いとしている。
 これに対してFrankl V Eや森田は、より逆説的な方法で、患者を不安へと立ち向かわせる指示的精神療法について語っている。たとえば、Frankl(2) は、患者に予期不安に左右されない行動をとるように次のように説得するのが良いとしている。「予期不安から結論をひき出してはならない。いったい人があることを不安を持ってしてはならないとどこに書かれているのか。電車の交通規則に、不安感情を持って電車に乗ることが禁ぜられているとでも書かれているのだろうか。むしろ不安に対して距離を取り、不安にもかかわらず行動することが必要なのである。そうするうちに不安のかたわらを過ぎて、それを無視して生きることができるようになり、不安を克服することが可能となるのである。」
 また、森田(5) は、患者の不安回避的な行動を、説得によって、不安へと立ち向かっていく行動に変換する治療法が極めて有効であると主張している。すなわち、発作を恐れている患者に対し「自ら進んで発作を起こし、その苦痛を忍耐して、それを詳細に観察するならば、将来決して発作の起こらない方法をお教えする。」と指導し、患者にそれを実行させることによって、「発作の苦痛そのものを覚悟し、恐怖そのもののうちに突入する」ことを患者に体得させる。すると、恐怖突入によって予期恐怖はその力を失い、患者は発作を起こそうとして、かえって発作から解脱することとなり、不安神経症の全治がもたらされるのである。
 古典的精神分析の不安神経症に対する有効性に対しては、懐疑的な意見が有力のようである。「古典的精神分析は必要でないばかりか有害なことさえ少なくない。」(15)「精神分析を受けた患者の回復率は、自然回復率とほぼ同じである。」(9) 我々も、多元的なメカニズムを持つ不安神経症の症状すべてを、葛藤の抑圧のみで解釈するのには無理があると考えている。しかし、症状突発の背景として、葛藤が中心をなす症例では、精神分析的ないしは力動的な精神療法が必要とされるのではないかと思われる。また、広場恐怖症を呈する患者においては、日常の行動までが、神経症的不安によって支配されており、このため二次的にさまざま葛藤が生じ、また潜在的な葛藤が表面化することも多く、患者の二次的疾病利得が、症状形成の力となっている場合がある。このような症例では、    Vanggaard Th(12)の二次的疾病利得に焦点を合わせた精神分析的精神療法の適応となるのではないかと思われる。
 c.panic disorder治療の組み立てについて
 これまでの考察から、panic disorderに対する種々の治療が影響を与えるメカニズム は、相互に独立のものであることが明らかとなった。このため、同時に多元的な治療的アプローチを行うことも、可能であり、また必要なことでもあると考えられる。そこで、実際に不安神経症を治療するにあたって、これらのさまざまの治療的アプローチをどのように組み合わせて治療を進めていくべきかという問題について次に考えてみたい。
 これまで見てきたように、さまざまの治療が有効性を持つとすれば、まず選択されるべき治療は、簡単で副作用の少ないものであろう。このようなものとしては、@疾患についての説明、A不安に直面させるための穏やかな指導、B副作用の少ない薬物の組み合わせをあげることができる。まず、不安神経症という疾患についての説明は、それ自体が困惑を軽減する治療効果を持つとともに、治療契約を取り、ほかの治療を用いていくための前提でもあり、ていねいに行うことが必要である。このような説明に加えて、患者を不安に直面させるために、Weekes C(13)の方法などの、常識的で穏やかな指導を用いるのが良いと思われる。薬物療法については、panic disorderの患者はささいな副作用のため服薬を中断することが多いため、当初は自覚的副作用が強い三環系抗うつ剤は避けて、抗不安薬を中心とし、抗うつ作用のある薬物としては、sulpiride の少量(100 〜150mg)を用いるのが良いのではないかと思われる。
 広場恐怖症や心気症などを呈し、慢性化したpanic disorderでは、このような穏やかな方法では、患者の不安に影響を与えることができず、治療の導入に失敗することも多い。このような場合には、患者の症状へのとらわれを揺り動かし、不安に立ち向かわせていくために、Frankl V Eのロゴテラピー(2) や森田の方法(5) などの、より逆説的で、患者を突き放すような指導を行う必要がある。
 これらの処置で改善があまり見られない場合には、薬物を三環系抗うつ剤やalprasoramの比較的大量に切り替えるとともに、症状突発の背景に心的葛藤がないか、また二次的に疾病利得が生じたり、葛藤が表面化していないかなどを検討し、時間をかけて精神分析的ないしは力動的な精神療法を行うのが良いのではないかと思われる。