| 炎 昼 幻 影
西川ガバナー いま、むかし |
放下鉾巡行に供奉する裃姿の西川ガバナーと小山地区幹事
(平成11年7月17日)
| あの時も暑かったなあ じりじり照りつける夏の陽が熱気となってアスファルトの路面から昇ってくる。 祇園祭の山鉾巡行にわく都大路。 放下鉾に随って歩きながら、西川ガバナーの脳裡には50年前の西宮球場の炎暑がよみがえって、思わずつぶやく。 昭和21年夏、戦争で中断していた全国中等学校野球選手権大会(現、全国高校野球選手権大会)が再開され、京都代表となった府立第二中学(現、鳥羽高校)4年の西川千大は遊撃手として出場した。 甲子園球場はまだ占領軍に接収されていたので、この夏は西宮球場で行われた。 日本中の注目を集めた再開第一戦は京都二中対成田中学(関東代表)。開会式で田丸道夫主将(後に西川入会のスポンサーとなる)が選手宣誓をした直後だった。 出塁した西川選手は、同僚のヒットで感激のホームイン。(写真)再開第1回大会の初戦、戦後大会初の得点であり、最初にホームベースを踏んだ選手として、それは西川千大にとって生涯忘れることのない感激であった。 生きるのが精一杯の時代、野球用具など手に入らなかった当時、父は寺町にあった進駐軍横流し品の闇市でグラブとバットを買ってきて千大に与えた。 そのグラブとバットの活躍によって成田中学、桐生工業、下関商業、鹿児島商業を連破した京都二中は、記念すべきこの大会で準優勝に輝いたのだった。 地下足袋で練習してきた選手たちがスパイク靴を手にしたのは、夏の大会直前だった。 うれしさの余り西川たちナインはスパイクを履いて河原町通りを歩き廻り、生れて初めての感触を味わった。 京女や堀川(当時は女学校)の応援団からは、手製のストッキングやセーターをプレゼントされた。 まだホテルや旅館とてなく、大会中は食糧持参で仁川の関学学生寮に泊り、すいとんや芋パンで戦い抜いた。 |
西川選手感激のホームイン
昭和21年夏 京都二中対成田中戦
| 暑い…… ギラギラした太陽が照りつける球場…… 南の空にもりあがる雲の山…… 応援の太鼓と歓声がこだまする──── 一瞬の追憶から現実へ…… グラウンドの幻影は、巡行する放下鉾の祇園囃子の響きと観覧席の拍手の波だった…… 裃姿で放下鉾の巡行に供奉して歩く西川ガバナー…… 強い陽ざしと流れる汗が、彼に50年前の青春の一こまを想いおこさせたのだった。 放下鉾保存会の松原昭吾氏(京都パレスLC)は、今年の祭事全般を司る神事係正である。地区役員(3R2Z・ZC)の縁ということでガバナーの巡行参加が実現した。 保存会の有職者たち、囃子方の若者たち、外国人もまじる曳き手の学生たち…… 伝統はこうした多様な世代によってうけつがれてゆくのであろう…… 時は、とどまることなく過ぎてゆく…… わが青春もまた……。 歩きながら西川ガバナーは、空に向って大きく胸を張って息を吸いこむ。そしていま課せられている務めに向って、新たな思いをめぐらせるのだった。 炎天を截って、放下鉾がすすむ…… 鉾頭に日、月、星の三光が揺れる…… お囃子は、いつしかもどり囃子にかわっていた。 |
| (岩田 正 記) |
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