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2000
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「思い入れメッセージ」
手塚治虫・永井豪二人展に、等身大デビルマンの胸像を出展した彫刻家。
なぜ、彫刻家が永井豪をモチーフに選んだのか?
ファインアートは現在において必ずしも美しさを追求することが全てではない。そこには作家個々の原体験や感性がよりストレートに表現される時代になってきた。一つのカテゴリーに当てはめるには、あまりに多彩な表現方法がそこには存在する。
彼等の中にはマンガ的表現方法を用いる者もあれば、あきらかにマンガからインスピレーションを受けた作品も多く見かけられるようになった。言葉を変えればマンガを読んで育った世代がそのことを自分の原体験の一部としてマンガとは違ったメディア、素材に置き換えて表現しているのである。
こういった作家が増えてきている現状は納得できる。それほどにマンガは社会に受け入れられ、確立された現代のメインカルチャーであることを誰も疑う余地はない。
そう言う僕もマンガを読んで育った一人であり、手塚ワールド、永井ワールド抜きでは原体験を語れない。現在制作を続けている作品「メンタルチェアー」シリーズも少なからずその影響下にある。僕らは彼等の作品から多くのことを学び、また考えさせられた。言わばアトムの子供であり、デビルの戒めを受けた世代である。
永井作品には僕たちの心を揺るがすには十二分な真実が充満していた。ハレンチさとバイオレンスといった大人は
認めたがらない、教科書には載っていないリアリティー。親の目を気にしながら、または恐怖心と対峙しながら読み進むことで人間的に少し成長した自分に気がついた。大人への階段の第一歩がそこには用意されていた。
今回、デビルマンの胸像を造るにあたり何ら迷うことは無かった。
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目を閉じるとそこには造るべき形が浮かび、表現する方法があった。それを二人の展覧会に展示する機会を持てた
ことは僕にとって何よりの喜びである。
今もってさらなる光を放ちながら現代社会に問題を提起する永井作品に敬意を表するとともに、1ファンとして今
後の先生の展開に期待するものである。
---2000年(平成12年〉12月08日
株式会社キネマ旬報社 発行「キネ旬ムック
マンガジンマガジンvol.1永井豪」に寄稿---
ガーデン―現代美術をとおしてみる後楽園
名園の特性浮き彫り11作家・団体が挑戦
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国内外で活躍する作家十人と一グループを招へい、岡山市の名園・後楽園に空間アートを設置した展覧会「ガーデン―現代美術をとおしてみる後楽園―」が注目されている。おかやま後楽園300年祭実行委員会の主催で、岡山県立美術館が共催。後楽園での現代美術展は初。作家の多様なアプローチで、同園の優れた空間性を浮き彫りにしようという意欲的な試みだ。(江見 肇)
正門近くの芝生広場で丸太におのをふるうのは、寺田武弘(岡山市)。丸太は、イチョウの木と直角に置かれ、削り飛ばした木くずがイチョウの木の影のような形に成長していく。万成石を並べた作品も芝生に設置、橋や灯ろうなど園内に展開される石の造形物へと思いを導く。
後楽園は全面積の五分の一が芝。芝が大量に使われた最初の日本庭園だ。芝生にそれぞれ大きさの違う朱色の木製の球を複数置いたのは榎本勝彦(岡山県熊山町)。唯心山の頂上にも一個。ここから
眺めると、来園者に転がされていく球が生み出す風景の変化や芝と朱色の対照が楽しい。
穏やかな景観の中で岡山城を背景に強い存在感を示すのは、真板雅文(神奈川県二宮町)。素材は
竹。空に向かって大きく広がるシルエットには張り詰めた美しさがあるが、実は、地面に集まる水の一滴に神経を集中させる作品だ。
池や滝、曲水など、水は後楽園に多様な表情を与えている。花交の池の斜面から水面にかけて、備前の耐火れんが一万個と新見の杉の間伐材二千本で組み上げた国安孝昌(茨城県つくば市)。聖的な雰囲気を漂わせる池から立ち現れるものを、二頭の竜がもつれあう姿として形象化した。
表面に波状の文様を施し、見る角度で表情が変わる池田晶一(愛知県半田市)の陶板作品も、曲水の水面の輝きや映った雲などから発想している。
桜林には、岡部玄(総社市)が流木でドームを組み上げている。その外側にある三本の木の周囲には、それぞれ落ち葉、水辺に流れ着いたピンク、ブルーのゴムぞうりを円形に並べた。かつて後楽園を訪れた人々の記憶かもしれない。
奥まった場所にある御舟入跡周辺は訪れる人は少ないが、樹木が生い茂り、野性味ある独特の空間だ。大久保英治(大阪市)の作品は、九月に園内で伐採した竹百五十本を縦割りにして地面に突き刺したもの。周囲の竹林との対照で時間の流れを意識化させる。
人間の形をした鉄製の赤いいすで知られる岩野勝人(京都府向日市)。木々の間にさりげなく置かれた作品の動きのある姿、燃えるような色彩が人けのない空間に生命感を与える。
音という切り口で迫ったのは藤本由紀夫(大阪市)。花葉の森にある茶室・茂松庵の内部にそれぞれ違う和音を奏でる電子キーボードを七つ置いた。茂松庵の姿が見える前から、かすかな音がその存在を知らせ、周囲を回ると音の聞こえ方が微妙に異なる。音を聴くことは空間を聴くことだと示した。
太田三郎(津山市)のバードケーキプロジェクトは、コミュニケーションという視点が面白い。鉢の中に小鳥のえさを置き、小鳥のふんの中に混じった種と交換して発芽させようというユニークな試みだ。
「地域と藝術計画」(岡山市、小石原剛代表)は、正門でわらじを無料で貸し出したり、園外の九カ所の関所を巡るスタンプラリーといった、まったく異質なアプローチ。かつて藩主が舟で訪れたという庭園に作品設置することへの疑問も、やんわりと込めている。
日本庭園の粋を集めたといわれる後楽園。「完ぺきすぎて作品を設置する場所がない」と思った作家も多いというが、実力のある作家たちだけに、期待通りの力作を仕上げている。岡山城を借景にする作品が、特設ステージに相殺されるなど、関係者内部に葛藤(かっとう)があったことは容易に想像できる。これも後楽園の手ごわさか。
だが、来園者が違和感なく作品に親しむ姿を見れば、意義ある試みといっていい。作品撤去の後、後楽園がどう見えるか楽しみだ。
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---2000年(平成12年〉11月15日
水曜日
山陽新聞
朝刊 から転載---
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》》アート前線《《
実力派招いた野外展
江戸時代の名園で現代美術展。この想外な組み合わせが、岡山後楽園で十二月三日まで開かれている「ガーデン」展で実現した=写真。大久保英治さん、國安孝昌さん、眞板雅文さんといった、野外展で実績のある十人と一組が全国から招かれている。
でも実際に足を運ぶと、思ったほどには意外感がない。一つには、芝生が広がり、モダンさに通じる要素があるからだろう。近代的な公園での野外展に、どこか似た感覚がある。
鉄筋を針金細工のようにつないで人の形にし、真っ赤に塗った岩野勝人さんのいすや、朱色に塗った木製の球を各所に配した榎本勝彦さんの作品は、明快な色彩と造形だけに、そのイメージがより強い。
れんがと丸太で、とぐろを巻く竜のような巨大立体を作った國安さんや、逆円すい形に組んだ竹が放射状実力添招いた野外展に天を突く立体五つを芝生に配した眞板さんは、実力派らしい完成度を見せる。
これほどの規模の野外現代美術展は岡山では過去にほとんど例がないという。美術とは無関係な場所で、しかも初めて見てもらうなら、まずは実力派から、という考えは理解できるし、新鮮な体験をした人も多いだろう。
一方で、実力派となれば、各地の野外展に招かれ、作風も確立された人が多くなりがちともいえる。
ほかの展覧会にはない個性を目指すのか、まずは安定したレベルの作品で親しんでもらうのか。各地で増える野外展が迫られている選択なのかもしれない。今回は、後者が選はれた。(若)
---2000年(平成12年〉11月08日
水曜日 朝日新聞 朝刊 「23面 文化総合欄
アート前線」から転載---
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「メンタル・チェアー」
< 見てOK。座ってOK。 >
園内各所に置かれた朱色の人体型作品「メンタル・チェアー」は、彫刻として眺めても良し、椅子として座っても良し。これらの作品は、長さ20cm程の細い鉄筋を溶接して出来ているが、作家の言うには、これは「空間にデッサン」したもの。確かに、なにかの形を的確に押さえ表わす線の集積であり、その一本の線を存在させるために、ああでもないこうでもないと思考/試行が繰り返される様は、まさにデッサンそのもの。もっとも腕のストロークによって様々な線の表情を産み出せる木炭デッサンに比べれば、太さも長さも一様に揃った鉄筋で、それも鋼の強度に抗して曲げたり着けたりしながら、きちんと見所も押さえて全体を作り上げていくのはなんとも難しい。そこをしっかりとこなすあたり、岩野は並々ならぬデッサン家であり、また並々ならぬ彫刻家だと言えるだろう。
< 見るモノ、座るモノ、見られるモノ >
さて、見るものでもあり、座るものでもあると言う点に話を戻そう。眺めてみれば、このメンタルチェアーは、のけぞったり腕を高くかかげたりと、いささか大仰で、ちょっと劇的な姿勢を示す人体である。もっとも、それに座ってしまえば、さっきまでの見るためのフォルムは、そのまま座り心地の良し悪しをうんぬんされるフォルムになってしまう。この座り心地というのは、結局は自分の身体の曲線や重心と椅子の形状との関係であり、座りが悪ければ悪いほど、人は自分の足のやりどころのなさ、お尻の重さ、背中の皮の薄さ等々、自分自身の身体を強く意識させられることとなる。ところで、この座り心地を云々するのは座った当人だけであり、座った人間には作品の外形が見えないどころか、今度はその人自体が見られるためのフォルムの一部となって、他人から眺められてしまう。おまけに、メンタルチェアーの座面は水平に近いものが多く、座った者はたいてい空を見上げることになり、それだけに前方を直視することは難しく、自分を見る者に視線を投げ返すことも出来ない。視線による威嚇もできぬまま、一方的に見られる存在になってしまう。もっとも、メンタルチェアーは、こうした見る見られるの関係を倒立させるようなアイロニカルな装置ではないだろう。それよりも、チェアーに首をもたせかければ、そのまま広い空を見ることになる構造は、視覚には空だけをおさめ、その他の余計な情報を遮断(できるなら目をつぶりさえして)するためのもので、やはり背に当たる触感を通じて、自身の身体を感じさせようとする意図が込められたものだと思うがどうだろうか。まあ、まずは座ってみよう。そこでゆっくりしてみればいい。
柳沢秀行 氏
岡山県立美術館学芸員
---2000年(平成12年〉11月03日発行 展覧会期間中園内で配布された新聞「ガーデン-現代美術をとおしてみる後楽園-」より転載---
メンタルチェアー
流店付近の芝生広場、蘇鉄材、花葉の森
後楽園はのんびりと景色を眺めたい場所に椅子が少ない。それと晩秋の紅葉時を除けば、豊かな緑のグラデュエーションこそあるが、その他の色彩に乏しい。それから開放的な芝生こそあれ、幼小児には退屈な場所である。
その全てを満たせるのが岩野のメンタルチャアーであった。メンタルチェアーは、鉄筋をつないで人体形とし、その上に蛍光の朱色を施した彫刻であり、椅子でもある。
ポーズが異なる7体を園内各所に配したが、いずれも周囲の景観との関わり方、そして座った人の視野に広がる景観の両方を慎重に考慮して設置場所が決められた。案の定、所々に置かれた色彩は後楽園の緑をいっそう引き立てるアクセントとなり、若いお嬢さんは座り心地を楽しむうちに岩野が示した景色をぼんやり見つめ、子ども達はその座を目指して昇降を繰り返した。その造形力とインタラクティブ性は見事なものである。
もっとも今度の中で、好き嫌いの反応を最も強く引き出したのも、このメンタルチェアーであった。ひとつには、来園者の多くには日本庭園に対するイメージが刷り込まれ、後楽園の色彩、素材感はこうあるべきという想定が出来ている。そうした方にとって蛍光の色彩と金属の素材感は刺激が強すぎたのだろう。しかしこの点については、いつも無い物をわざと加えた確信犯だから、しかたがない。
次に、皆が皆「ガーデン展」を見に来たわけではないから、同時代の美術表現に触れる経験の少ない来園者も多かった。こうした方には、眞板や國安のような大型の構造をもつ作品のほうが、はじめから現代美術とは、そう言うものと受入れやすかっただろう。かえって等身大のサイズで人体型でもあるメンタルチェアーは、ブロンズの具象彫刻等によって形成された彫刻のイメージと言う比較対象例があったために、それとのギャップがあった。
さて、違和感を抱かせるであろう最後の要因。これはどこに置かれようとメンタルチェアーにとって一考を要する点だ。
人の上に座ると言うのはただでさえ気が引けるが、メンタルチェアーのポーズは、それ自身が何かに身をゆだねたような姿勢であり、さらにその上に身をゆだねるのも不自然な気がする。おまけに強靭な男性の肉体を思わせるメンタルチェアーが、そうした受身なポーズを取り、また実際に上に人を乗せる。となれば、通常の男性性にまとわりついた能動的なイメージが反転させられることとなる。この点については、ジェンダーと椅子の機能が複雑に絡まりあうので容易に紐解くことは出来ないが、メンタルチェアーが抱える意外と根深い問題なのかもしれない。
柳沢秀行 氏
岡山県立美術館学芸員
---「おかやま後楽園300年祭
空間アート ガーデン-現代美術をとおしてみる後楽園-」記録集より転載---
「新鋭 美術選抜 展」を顧みて
今回でこの展覧会に出品させて頂いたのは三回目になる。足掛け六年、御世話になっているわけである。二年に一度、日頃はなかなか顔を会わす機会が無く、失礼ばかりをしている先輩や友人にこの搬入出時に会えて、お互いの近況を確かめ合うことが出来るのは大きな楽しみである。その友人たちもこの六年間で先輩から後輩の方が多くなってきたのは、やはり時の移り変わりであろうか・・・・・。とにかく、この時にしか顔を会わさない友人と互いの作品を前に話ができる機会がそこにはある。これはこれで僕にとっては貴重な時間である。
上記のようにこの展覧会に出品することで得るモノは多々ある。多くの人に作品をみて頂く機会はそれだけでも僕たちにとっては意義のある事である。それらの事についてはあえてここではふれない。出品させて頂いた分際でこんな事を書くのはどうかとは思ったのだが、ここでは出品した者の一人として、今後、より良い形で同展が展開されることを期待して、僕の感じたこの展覧会の問題点をいくつか挙げさせて頂くことにする。
まず一番気になるのは、やはり作品の多さ、いろんな分野の様々な作品がちょっと窮屈そうに並べられている感じがすることである。それは恰も芸術大学の作品展みたいに、である。正直なところ、あまり個々の作品が見えてこない様に僕には思える。そこには難しい諸事情、力関係等があるのであろうが、出品作(作家)を厳選することで数を減らしてみることも必要ではないかと思われる。一分野につき二、三人でも充分に空間を使った良い展示が出来るのではないか。そうすることで個々の作品がより良く見えるのであればその方がギャラリーにとっても良いのではないかと思う。ここに出品している作家には十分そのポテンシャルはあるのだから。ジャンルの違うモノを並べて万物博覧会的な見せ方では、作品が何かもったいない気がするのは僕だけではないはずである。このことに起因するのであろうが、普段、個展を中心に活動している手前、同展に出品した後のリアクションがいまひとつ感じとれないのは僕だけなのであろうか。それとも出品する事に意味があり、それだけで充分なのであろうか。もしそうなら僕の感じた違和感は僕だけの問題なのかもしれない。どちらにしろ同展に今後さらなる展開があることを期待する。
岩野 勝人
2000新鋭美術選抜
展 平成12年6月23日〜7月2日 京都市美術館 主催 京都市・財団法人京都市芸術文化協会
---2000年(平成12年〉10月01日
(財)京都市芸術文化協会 発行「芸・文・京」通巻75号
6pに寄稿---
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三加茂出身の彫刻家・岩野さん
"後輩"の授業に参加
三庄小 レリーフ作りを指導
三好郡三加茂町出身で大阪大や奈良女子大の非常勤講師を務める彫刻家・岩野勝人さん(三八)=京都府向日市在住=が十七日、母校の三庄小学校(石井繁子校長、二百三十一人)=同町中庄=を訪れ、二年生の図工の授業に飛び入り参加した。子供たちとの触れ合いを通じて互いの感性を高め合うことが狙い。
二年生児童三十八人全員と教師ら四十一人が参加。「十年後の自分にあてる絵手紙」と題した石こうのレリーフ作りに挑戦した。児童は指導を受けながら、粘土をこね直径約二十センチの円形にしてレリーフの原画を描くための台を製作。割りばしやビーズ、ビー玉を粘土に押し付けて家族の顔や動物、花などを彫った。
中にはアニメキャラクターのポケモンやドラえもんを器用に描く子もいた。児童らは思い思いに手を動かしていった。自分の顔を描いた丸尾歩ちゃん(七つ)=中庄=は「十年後の顔はどうなっているか楽しみ」と笑顔
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を見せていた。この後、絵をかいた粘土に石こうを流し込んだ。三、四日放置し粘土の型を抜き取り、二十五日
の授業時に色付けし作品が完成する。作品は教室に飾る予定。
岩野さんは「十年後に作品を見たとき、幼かったころの純粋な気持ちを思いだしてほしい」と話していた。
<写真解説> 児童にレリーフの作り方を指導する岩野さん =三加茂町中庄の三庄小
---2000年(平成12年〉1月21日
金曜日 徳島新聞 朝刊 地方 欄から転載---
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「図工」飛び入り指導
京都在住 彫刻家、岩野さん
三加茂町出身で京都市向日市在住の彫刻家、岩男勝人さん(38)がこのほど、母校の同町立言庄小学校(石井繁子校長、児童231人)を訪れ、2年生の図工を指導した。
岩野さんは三加茂町と三野町を結ぷ「三三大橋」の欄干部の「まがたま」や、,同町の農村公園の壁画などを手がけたほか、手塚治虫「過去と未来のイメージ展」などに出品するなど活躍中。2年生担任の鶴田美枝教諭とは在学当時の同級生で、同校を訪問した機会に授業に飛び入り参加した。課題は「10年後の自分にあてたメッセージ」。児童は粘土を使ってビー玉やビーズをのせ、思い思いの作品を作った。自分の顔を描いたものや、潮を吹くクジラや宇宙人、動物などさまざま。中平佑輝君(8)は「鳥の足跡を押して鳥を作った。反対側から見るとクジラにも見えるよ」とにっこり。この後、粘土に石こうを流し込んで型を作り、後日、色付けしけをして仕上げるという。
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岩野さんは「自分の好きなものを作り、10年後に作品をながめて純粋な心を思い出してもらえたら」と話していた。
<写真解説> 児童たちに作品の製作を指導する岩野さん =三加茂町立三庄小学校で
---2000年(平成12年〉1月20日
木曜日 毎日新聞 朝刊 徳島 地域のニュース
欄から転載---
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彫刻家が母校で授業
三加茂の三庄小
三加茂町中庄の三庄小学校(石井繁子校長、児童二百三十人〉で十七日、同校卒業生で京都府向日市に住む彫刻家、岩野勝人さん(三八〉を招いた図工の交流学習があり、二年生三十七人がレリーフづくりを学んだ。
岩野さんは、京都市立芸術大学大学院彫刻課程を修了し、現在は大阪大と奈良女子大の非常勤講師。町の依頼で一九九〇年に町内の三三大橋に作品「まがたま」を設置し、昨年は町内の小中学生のデザインをもとに天神塚古墳前の農村公園に壁画を制作した。
岩野さんが五、六年生の時の担任が石井校長、今の二年生担任の鶴田美枝教諭と同級生という縁で、母校での授業が実現した。
レリーフづくりは、十年後の自分ヘメッセージを残すのがねらい。子供たちは岩野さんの指導で粘土をまるくのばし、ビーズや割りぱし、アニメのおもちゃなとを粘土に押しつけるなど思い思いの型をつくり、石こうを流した。
来週の図工の時間に色付けをするが、鶴田教諭は「岩野さんは町内に作品を残しているので、子供達の励みになります」岩野さんは「教えるのでなく、小学生の感性を一緒に学ぶつもりです」と話していた。
<写真解説> 母校でレリーフづくりを指導する岩野勝人さん=三加茂町中庄の三庄小学校で
---2000年(平成12年〉1月18日 火曜日 朝日新聞
朝刊 徳島 地方 欄から転載---
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